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2011年4月19日

2011年4月19日 (火)

原発情報について想うこと

楽観的な情報と悲観的な情報、信頼できそうな情報と信頼できなそうな情報、いま自分に必要な情報と他人に必要な情報、客観的な情報と主観的な情報、国家的な情報とローカルな情報、科学的な情報と感性的な情報・・・今回の原発問題を違った角度から捉えると、物理的な建物だけでなく、無形の情報もいかに脆いものかが白日の下に晒された気がします。
この背景にある本質は、核心となる情報ソースが見つけられない、つまり、誰ひとりとして確固たる原因分析と今後の予測ができないことにある、のではないかと見ています。つまり、具体的には、本当にあってはならない (関係者すらシュミレーションしていない) 大災害が現実におこってしまったために、人類として初めて体験する未知の領域に足を踏み入れていることが最大の要因ではないかと思います。
こんな状況下ですから、当然、国民および自分にとって良い方のシナリオと悪い方のシナリオがあるわけで、どのような選択・行動をとるかは個人の裁量に委ねるしかないわけです。その結果としての影響は個人や家族に現れるわけで、まさに自己責任と言えるわけです。今回の事態では特に、情報のスヒードと選択が生死を分けることにもつながったわけで、日頃から情報面での防災対策もしっかりしておくべきではないかと思います。
しかし、一番腹が立つのは、国・東電・保安院のスポークスマンが一個人の感情もなしに、無責任かつ非道徳な顔をして、淡々とコメントを述べている姿です。彼らには人の痛みがわからないのでしょうか。もっと人心に訴え、行動を起こさせるには、強い意志や思いのこもったコメントを期待したいものです。

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